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鈴木盛久の南部鉄器をお買取りいたします。

2019/09/20

鈴木盛久 阿弥陀堂形鉄瓶をお買取りしました。


 


写真のお品物は、いわの美術でお買取りいたしました、釜師・鈴木盛久による阿弥陀堂形鉄瓶です。

鈴木盛久は盛岡で1625年から続く伝統ある鋳物師で、初代は南部鉄器の興隆にも携わりました。

  

釜師・鈴木盛久

南部鉄器の産地である岩手県は、川砂・粘土・漆・木炭など鋳物に必要な材料が豊富なことから、奥州藤原氏の時代から鋳物が行われ刀剣や香炉、釜などが作られてきました。

徳川幕府が興り世の中に泰平が訪れ、森岡藩28代当主は京都から盛岡に釜師を招き、茶の湯釜を作らせました。

古くから鋳物の産地であった南部藩は、幕府献上品に茶釜や鉄瓶を選び、南部鉄器は全国的に認知されるに至りました。

鈴木家は初代・鈴木越前守縫殿家綱が南部家の出身である甲州から呼びよせられ、御用鋳物師となったことに始まります。初めは仏具・梵鐘などを鋳造し代々御用を勤め、次第に鉄瓶など茶の湯道具も手掛けるようになりました。

明治から昭和にかけて活躍した十三代・鈴木繁吉盛久は、ベルギー・リエージュ万国博覧会で美術部門金賞を獲得し、日展での特選、勲六等単光旭日章を賜り、晩年には無形文化財の指定を受けました。

十四代・鈴木貴璽盛久もまた日展特選を受賞し、東京芸術大学の教授も務め、美術家らしい作風で活躍をみせましたが、退官前の62歳の時、十三代の逝去から5年後に没しています。

現在は十五代・鈴木盛久(熊谷志衣子)が当主となり、彫金専攻でブランクのあった特異な経歴と独自の審美眼で新しい世界を切り拓きながら、伝統の丁寧な仕事を受け継いだ南部鉄器を製作しています。


阿弥陀堂形 鉄瓶について

鉄瓶の形の一種として現在も多くの製品が流通する阿弥陀堂型は、茶道具の阿弥陀堂釜に由来する伝統ある形です。

千利休の釜師であった辻与次郎が、当時流行であった芦屋釜・天明釜ではなく、利休の好みに合わせて作り上げたものの一つが阿弥陀堂釜でした。

形状はやや撫肩の幅の広い筒に近い形状で、繰口の口づくりと、銅が毛切まで少し広がる形が特徴です。阿弥陀堂釜の形状をそのまま鉄瓶に採用したものが、写真のお品物のような阿弥陀堂型鉄瓶となります。



鈴木盛久の南部鉄器をお買取りいたします。


いわの美術では年間を通じ多くの美術品・骨董品をお買取りしております。

茶の湯道具として、また日常使いとしても南部鉄器は人気が高く、中古市場でも需要が高い品物の一つです。

鈴木盛久の南部鉄器のご売却の際は、共箱・保証書・箱書きなどがポイントとなります。

現在流通するものには十三代・十四代・十五代の主に直近三世代のものとなり、それぞれ品物の需要によって高値でのお買取りが期待できます。

ご自宅やご実家、蔵や倉庫のお片付けで、ご売却をお考えの鈴木盛久の南部鉄器作品がありましたら、ぜひ、一度いわの美術にご連絡くださいませ。