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高価買取りされる尚美堂の菓子器を探しています。

2019/04/16

高価買取した尚美堂の菊割菓子器

 

高価買取りされる尚美堂の菓子器を探しています。


写真の銀製品は、いわの美術でお買取りした尚美堂の菊割菓子器です。


尚美堂は大阪の中心地にて「いいものだけをお薦めしたい」と高級品の時計、貴金属、一流の美術工芸品などを販売して100年になる老舗です。


名称 尚美堂(しょうみどう)
創業 1900年(明治33年)
所在地 大阪淀屋橋
取扱品 時計、宝石貴金属、美術工芸品、各種記念品


 尚美堂

尚美堂の菊割菓子器

創業者の江藤栄吉郎は1900年に大阪の淀屋橋に尚美堂を設立し、高級品を取り扱う店舗として、時計や貴金属、美術工芸品など多岐に渡る製品を販売していました。


江藤栄吉郎は大阪貴金属同業組合長を務めるなど、大阪経済の主要人物となります。

東京経済に深刻な被害が出た1923年の関東大震災でしたが、大阪は逆に利益を受けました。


更に1937年に完了した御堂筋の拡幅工事の結果、尚美堂店舗のすぐ前まで道路が拡幅され、大阪経済の中枢である御堂筋の表通りに位置することとなった尚美堂は益々の発展を遂げます。


淳風満帆と思われた尚美堂でしたが、第二次世界大戦での経済的困難と1945年3月の大空襲による店舗の全壊で全てを失いました。


翌年、息子の江藤順蔵が社長に就任し、戦後の混乱期に再建を図ります。

更に翌年1947年には大阪府時計貴金属眼鏡商業協同組合の初代理事長に就任するなど、尚美堂だけでなく大阪経済の発展にも尽力しました。


二代目 江藤順蔵は国や公共に対し功労のある者に授与される『勲五等双光旭日章』を叙勲したことからも、その活躍ぶりが伺えます。


現在は六代目の江藤克二が新生尚美堂をスローガンに、グローバルな経営に取り組んでいます。


 尚美堂の菓子器

尚美堂の高坏菓子器

今回お買取りの菓子器は器に脚が付いた『高坏(たかつき)』で、貴人用の菓子器とされていて、『高杯』や『高月』とも書かれることがあります。


高坏の起源は古く、縄文時代の土器ですでに登場しています。


貴人用に用いる場合は、角がずれるように二つ折りにした奉書紙を敷いて、その上に菓子を盛ります。

脚が5寸(15.2cm)以下の物は一般茶席にも用いられているようです。


高坏は通常漆が多く、今回お買取りの純銀の高坏は珍しいお品です。


尚美堂は高坏の他、菓子鉢や手付菓子鉢、銘々皿などの純銀製の菓子器を取り扱っていて、時代を超えた美しさと気品から、現在も人気は衰えていません。


 高価買取りのポイント

尚美堂の共箱付き菓子器

尚美堂の銀工芸品は純銀製で、非常に柔らかく傷が付きやすいです。


アンティークの銀製品は長期間空気に触れたことで黒く変色していますが、強く磨くと傷が付くことや、時には落款が潰れてしまうこともあるのでご注意下さい。


この経年経過による変色は味わいや風合いとして好まれます。

もし変色の進行を緩めたい場合は、最近では専用の保存袋などが開発されているのでお勧めです。


落款がしっかり入っているかも査定に影響しますが、記念品として作成された際の企業名などは刻まれていないほうが査定額は上がります。


銀製品であることから、単純に銀の重さがあるほど価格は上がりますが、小さな銀製品でも細工が見事な物は高額買取りが期待できます。


付属品も査定額に影響しますので、保証書・栞・共布など、特に共箱と呼ばれる木箱があれば更に査定額が上がるので、汚れていても一緒にお出し下さい。



尚美堂の菓子器のお買取りをしております。

いわの美術では、尚美堂の菓子器のお買取りをいたしております。


引き出物やお祝いでの戴き物で、ご自宅で眠っている尚美堂の菓子器をお持ちの場合は、いわの美術までご連絡下さいませ。

今回お買取りの菊割菓子器は、経年経過による変色はあるものの状態が良く、共箱付きであったので高価買取りをさせていただきました。


尚美堂の菓子器のご売却をお考えの場合は、いわの美術までお問い合わせ下さい。

茶道具専門の鑑定員が丁寧に査定させていただき、お客様のご納得の上での買取りをいたしております。

スタッフ一同ご連絡を心よりお待ちいたしております。