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高額買取される十五代 坂倉新兵衛の茶陶器を探しています。

2019/05/16

 買取の十五代 坂倉新兵衛の茶陶器

高額買取される十五代 坂倉新兵衛の茶陶器を探しています。

写真の萩焼はいわの美術でお買取りした十五代 坂倉新兵衛の萩茶碗です。


坂倉新兵衛は高麗茶碗に惹きつけられた大名の御用窯として始まった萩焼窯元「坂倉家」の当主が引き継いる名跡です。

現在の十五代は400年の歴史と独自の表現にもこだわり、素朴でありながら土の深みと美しさを感じる存在感のある作品を生み出しています。


十五代 坂倉 新兵衛 じゅうごだい さかくら しんべえ
本名: 坂倉正治(さかくらしょうじ)
1949年(昭和24年)1月3日~現在
陶芸家
2013年 山口県指定無形文化財に認定

 坂倉新兵衛の始祖

買取の坂倉新兵衛

坂倉新兵衛の始まりは朝鮮人で、萩焼の始祖と言われる李勺光(り しゃくこう)です。

豊臣秀吉の朝鮮出兵・撤退に伴って捕虜となった、又は招かれたなど諸説あります。


安土桃山時代は茶の湯がある種のステータスとして重んじられ、織田信長は戦功として名品の茶器を贈与するなど、質の高い茶陶器の需要が一気に高まりました。


豊臣秀吉が行った文禄・慶長の役の際に連れ帰られた朝鮮の陶工達は、日本各地で大名の保護を受け発展し、現在の有田焼や美濃焼などの素晴らしい文化の源となりました。

このことから『やきもの戦争』とも呼ばれています。


李勺光は弟の李敬(り けい)と共に広島城を構える大名の毛利輝元の元で、陶磁器の制作を行っていました。


しかし関ヶ原の戦いで敗退し領土を縮小された毛利輝元は萩に移り、李勺光、李敬も萩に転居せざるをえなくなりました。

李勺光と李敬の兄弟が萩の城下に御用窯を築いたのが萩焼の始まりと言われています。


兄の李勺光の系譜は坂倉新兵衛として現在十五代、弟の李敬の系譜は坂高麗左衛門として近年まで続いていましたが、十三代が2014年に死去されて以来空席となっています。



 十五代 坂倉新兵衛

十五代 坂倉新兵衛の萩焼

東京藝術大学美術学部彫刻科卒業後、同大学院陶芸専攻を修了、その後 父である十四代に師事しますが十四代は1年後に58歳の若さで胃癌で死去しました。

その3年後に正治は十五代を襲名しました。


日本伝統工芸展を中心に出品を続け多数の入選を果たし、現在も精力的に出品入選を続けています。


十五代 坂倉新兵衛は萩の土の深みと美しさを生かした表現をするために、連房式の登り窯を使用しており、これは十四代と十二代が築いた窯です。

十五代 坂倉新兵衛はこの窯で試行錯誤を重ね、土の美しさを引き出す研究を重ねています。


十五代 坂倉新兵衛の陶芸は土そのものの魅力だけでなく、茶碗に命を吹き込まれたような感覚を感じさせる作品で、非常に評価が高い陶芸作家です。


 萩焼の特徴

萩焼は茶人の好みとして「一楽、二萩、三唐津」(1位 京都、2位 萩、3位 佐賀県唐津)とうたわれるように、茶陶として高い人気を得てきました。


萩焼はシンプルなデザインで、土が荒く引き締まりのない軽い焼き上がりが特徴で、釉薬には貫入という細かなヒビが入っています。


吸水性が高く使えば使うほどにヒビや土に茶渋が浸透し、味わい深い風合いと色目に変化していきます。

これが七化けと呼ばれ、変わる景色のように変化が楽しめると深く茶人に好まれる理由の一つです。


 高額買取のポイント

高価買取には付属品も重要です

坂倉新兵衛の茶陶芸は、人気のある茶道具は特に価格が高くなる傾向があります。


作品の使用頻度や保存状態によって価格が大きく変動しますので、写真を撮って送っていただけますとより正確な査定価格をお伝えすることが可能です。


共箱、共布、共栞などの付属品がある場合はプラス査定になり価格が上がりますので、お持ちの場合は一緒にお出し下さい。


萩焼は他の陶器に比べて吸水性が高いので、カビや匂いが発生しやすいです。

使用した萩焼は完全に乾燥させてから、保管は湿気を避けて収納されることをお勧めします。




十五代 坂倉新兵衛の茶陶芸をお買取りいたします。

一見シンプルで飾り気のない十五代坂倉新兵衛の萩焼は、ご自宅の意外な場所で見つかるかもしれません。

いわの美術では十五代の他に十二代、十四代の坂倉新兵衛の市場価値を高く評価しており、買取実績が豊富です。



Webに掲載していない作品も多数買取実績がございますので、ご売却をお考えの坂倉新兵衛の萩焼をお持ちの場合は、まずはいわの美術までお問い合わせ下さいませ。