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千家十職 袋師・土田友湖 牡丹唐草紹巴文 帛紗

2022/09/28


土田友湖 初代 1687-1757年 

茶道三千家の注文品を作る茶道具を作る「千家十職」のひとつである袋師


袋師とは

裂、紐、糸にかかわる茶道具を調整する職人のことで、仕事の中心となるのは客から預かった茶入に着せる袋や仕服を仕立てることです。茶入、茶器は茶の湯道具としてもっとも重んじられるものの一つであり、古来より多くの茶人が愛蔵する茶入に好みの袋を仕立ててきました。


初代・友湖

土田家の祖先は近江国蒲生郡土田村(現在の滋賀県)の出身で、彦根藩主井伊直政に仕えて鉄砲組頭を務めていました。

初代友湖にあたる孫の半平は本来土田家の嫡男でしたが、実母が若くして亡くなり、後妻に入った継母が男子を授かったため、家を異母弟に明け渡し武士の道を捨てて上洛し、越後谷半兵衛を名乗って西陣織の仲買をする商人の道を歩みます。やがて、生来の器用さを生かして、先代より袋師の名手として知られる二代亀岡二得の子、宗理の元に通いつめ、袋物の技術を習得しました。亀岡二得が伊勢藤堂家の茶頭になるにあたり、家業一切を半平に譲ったことから、土田家は袋師として立ち、表千家六代覚々斎の引き立てにより千家袋師となりました。

また、俳諧を通じて表千家七代如心斎との交わりも深く、大津石山寺への参詣のお供をして琵琶湖上で観月の舟遊びをした夜に剃髪し、如心斎より友湖の号を賜りました。


千家袋師 土田家

以来300年余、土田家では仕服はもちろんのこと、帛紗、茶席の柱飾りにする訶梨勒(かりろく)、茶壺にかける編や口覆い、ほかの職家と合作で風炉先屏風や香合、さらには茶碗、茶杓、桐箱の袋などの制作を手掛けています。


型紙からとった朱描きの線の上を、一針一針、心を込めて縫い上げられた仕服は、いかに家元の好みに添い、なおかつ茶入れに添っているか考えられており、その仕立ては特有です。


土田家の袋の仕立ては、表裏の二枚だけではなく、表裏それぞれに裏打ちをしており、仕服一つに計4枚の裂を使っています。半返しの縫い方で、返す時に前の糸の真ん中を通して縫うことで、万が一、糸が切れてしまっても袋が解けてしまわないようにと配慮されています。また表地と裏地の裏打ちが終わると、その間に綿をいれますが、この綿は大切な茶入れを守るクッションの役目をすると共に、仕服を茶入れの形に添わせる役目も果たします。

綿を入れた状態の仕服を茶入れに着せ、一週間から二か月ほど置いて真綿が茶入れに馴染むようにします。使用する真綿も、新しくて強いものより、5、6年たって落ち着いたものを使用するなど大変な手間と時間をかけ、ひとつひとつ丁寧に仕上げられています。


また、通称を「半四郎」「半兵衛」、隠居名を「友湖」と名乗る慣例は2代目以降も引き継がれ、2014年には当代十三代土田半四郎が襲名され、300年を越す手業の伝統は今日にも確実に継承されています。


土田家二代目以降


二代半四郎 1732(享保17)― 1757(宝暦7)年

初代の子。初代在世中に若くして亡くなる


三代半四郎 1747(延享4)― 1784(天明4)年

袋師二得にちなんで一得斎の号を如心斎より授かるが早世


四代鶴寿院貞松 1720(享保5)― 1801(享和元)年

二代の姉くに。二代の長男が6才と幼少だったため表千家八代啐啄斎のはからいで家業を継承した


五代半四郎 1779(安永8)―1825(文政8)年

三代の長男。それまで茶入袋のみを仕立てていたが、古くから帛紗を扱っていた室町一文字屋三右衛門、笹屋勘右衛門の家が絶えたため、了々斎の引き立てで帛紗も扱うようになった


六代半四郎 1804(文化元)―1883(明治16)年

五代の子。書画に長け、家系秘伝書や古代裂地の文様や図譜を書き写したりしたが1864年に起きた蛤御門の変で家屋が全焼した際に、それらの資料も焼失


七代半四郎 1836(天保7)―1911(明治44)年

養子として土田家に入る。表千家十一代碌々斎、樂家十一代慶入と親交が深かったとされる。明治の茶道衰退期に家業を守るのに大変苦労した。


八代半四郎 1862(文久2)―1911(明治44)年

七代の長女阿さの婿養子。養父である七代のわずか一か月後に亡くなる


九代半四郎 1893(明治26)―1914(大正3)年

八代の次男。長男が若くして亡くなっていたことから家業を継ぐが22歳の若さで早世する


十代浄雪院妙要 1860(万延元)―1940(昭和15)年

七代の長女阿さ。八代の3男は九代が亡くなった時まだ11歳だったため、八代の妻であった阿さが、三男の成長を楽しみに家業を継いで支えた


十一代半四郎 1904(明治37)―1965(昭和40)年

八代の3男。昭和の不況、長い戦争と不遇の時代を生き、自身も幾度の召集を受けた。戦後復興の頃には身体を壊し、その後は闘病しながら仕事をこなした


十二代友湖 1939(昭和14)年生まれ

十一代の次男。先代が身体を壊したため中学校を卒業すると同時に表千家家元に玄関人として通いながら高校に通学した。


十三代半四郎 1968(昭和43)年生まれ

十二代の長男。2014年、十三代袋師友湖を襲名、家業を継承している