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白井半七の茶道具の買取を行っております

2016/03/09

白井半七の茶道具買取ます

白井半七は今戸焼を代表する陶芸家で、初代・白井半七が貞享年間に京都の土風炉師より技法を修得し、土風炉や種々の茶器を制作した事から始まったとされています。
現在、乾山写を得意とする9代目が活躍をしていますが、それまでには歴代の白井半七が築き上げてきたものがあり、特に2代、7代、8代は白井半七の名声を上げる活躍を見せています。
まず、2代・白井半七は享保年間に瓦器に施釉した楽焼風の軟陶を制作して今戸焼と呼ばれるようになり、4~5代の間では京都の伏見人形の影響を受けた今戸人形を制作するようになりました。
これは浅草寺参詣等の土産物として天保年間に大変流行したと記録に残されていますが、1923年の関東大震災で窯が崩壊してしまった事がきっかけで7代・白井半七の時、兵庫県伊丹市に窯を移しました。
そのため、7代までの白井家の焼物は「隅田川半七」「隅田川焼」「今戸焼」などと呼ばれており、現在、今戸焼を受け継いでいるのは分家の5代目である白井靖二郎が守っています。
その後、小林一三の招きによって兵庫県宝塚市に窯を移した8代・白井半七は、初めて仁清・乾山写を取り入れ、華やかな京焼の作風を築き上げたため、名工として称えられています。


このように白井半七は長い歴史を持ち、中古市場でも取引が盛んに行われているため、白井半七の作品はいわの美術でも買取を強化しております。
ご自宅で使用していない白井半七の茶道具はございませんか?
何代目の作品か分からなくても、熟練した実績を持ついわの美術の鑑定士であれば、問題なく査定を行う事ができますので、ご売却をお考えの白井半七の茶道具がございましたら、まずはいわの美術までお電話、メールにてお問合せ下さい。




白井半七の茶道具買取について

白井半七の作品には陶印と呼ばれるものがあります。
歴代の白井半七によってその形状は様々ですので、お問合せの際はこの陶印のデザインなどをお伝え頂けると査定がスムーズに進みます。
しかし、中には口頭で説明する事が難しい場合もありますので、そういったお品物の場合、メールやオンライン査定でお問合せ頂ければ画像を添付する事ができ、口頭で説明するよりも正確な情報が伝わりますのでお勧めしているお問合せ方法です。
画像を添付する際は、お品物の全体像、陶印、共箱の文字、落款などできるだけ多角的な画像を添付して頂けると非常に助かります。


いわの美術では買取に関するご相談、ご質問、査定、見積など全て無料で行っており、買取不成立となっても費用を請求する事は一切ございませんので、白井半七の茶道具のご売却をお考えでしたら、迷わずいわの美術にお任せ下さい。