新着情報

板谷波山の茶道具の買取を行っております!!

2014/07/19

板谷波山の茶道具買取ます!!


板谷波山は明治後期から昭和中期にかけて活躍した陶芸家で、陶芸家としては初めての文化勲章受章者として知られています。
中国官窯古陶磁の洗練された造形を骨格とし、そこに19世紀末の西欧のアール・ヌーヴォーの装飾性を融合させた作風はこれまでの日本の陶芸界にはなかったものだったため、板谷波山は「近代陶芸の開拓者」と呼ばれています。


板谷波山の本名は嘉七といい、号を当初は故郷を流れる五行川の別名「勤行川(ごんぎょうがわ)」にちなんで「勤川」と号しており、のちに故郷の名山である「筑波山」ちなんだ「波山」を号すようになっています。
陶芸家になろうと東京美術学校に入学しますが、当時陶芸科が創設されていなかったため、彫刻科に入り、彫刻を学びました。
卒業後は金沢の石川県工業学校に彫刻科の主任教諭として採用され、のちに開講した陶芸科での指導を経て本格的に作陶を始めるようになります。
ここでは西洋の窯業技術を国内でいち早く受け入れ、応用する実験を行う窯業の最先端研究も行っており、板谷波山の西欧と中国の陶芸に融合はここが原点という事になります。
板谷波山は東京で作陶を続けながらも故郷を愛し、生前貯えた資金をもとに「板谷波山奨学金」を設立するなど後進の育成にも力を入れていました。


河井寛治郎、濱田庄司など有名な陶芸家を弟子に持つ板谷波山の作品は現在でも人気が高く中古市場でも需要の高い作家として知られています。
板谷波山の作品のご売却をしませんか?いわの美術では板谷波山の作品の高価買取を行っておりますので、お気軽にご相談下さい。



板谷波山の茶道具買取について


板谷波山は独自に開発した葆光釉(ほこうゆう)という釉を使って器の表面に様々な色の顔料で絵付けをした後、全体を艶消しの不透明の釉で覆う技法を生み出しました。
これは従来の色絵磁器とは異なり、ソフトで微妙な色調で絵画的で幻想的な表現を可能にした作品を多く残しています。
もちろん、この他の作風の作品も残しており、天目茶碗、青磁、白磁、そして生まれ育った土地は木綿の町でもあったため、染織品の文様を作品にいかした作品など広い作域を見せています。
板谷波山は焼物の命でもある成形は自分で挽くよりも卓越した技の持ち主に任せた方が素晴らしい作品ができる事と、ろくろの技を習得する時間を作陶の研究や作業に当てたかったこともあり、現田市松が担当していました。


板谷波山の作品は陶芸以外にも書などの掛軸も残しております。
板谷波山の作品であればどんな作品でも買取を行っておりますので、お気軽にお問合せ下さい。