買取強化中の茶道具

11代 一叟宗守(一指斎) 1848-1898

一叟宗守の生涯

一叟宗守は表千家10代祥翁宗左の次男として1848年に生まれ、50歳まで武者小路千家11代を守りぬきました。

表千家11代目瑞翁宗左の弟にあたる一叟宗守は、武者小路千家10代目全道宗守が失明し早くに隠居に入ったのをキッカケに養子になります。

その後、11代目を継いだ一叟宗守でしたが、嘉永7年の大火災により京都の半分を焼きつくされるという災難に見舞われます。

大火災の後一息つく間もなく明治維新前後の混乱期にぶつかるという大変苦しい時代だったと言われていました。

大火災により一叟宗守の茶室なども被害に合いますが、明治14年に一部を再興し、明治中期以降の茶道復興の素地を作りました。

現在でも残っている濤々軒と呼ばれる茶室は明治14年以降の苦しかった時代に新たに好まれたと言われています。

大火災から明治維新前後の混乱期と続く大変苦しい時代を生き抜き、茶道の復興に務めた一叟宗守は、50歳の若さでこの世を去ります。


一叟宗守の好み物


一叟宗守が好んだ作品で有名なのは武蔵野蓋置や清友棚と呼ばれるお品物です。
武蔵野蓋置とは、三日月や丸の形で灰色の背景にススキが描かれている美しい作品となっています。
清友棚とは、杉木地で作られた作品で、白竹の四本柱に天板と地板が四方あり、両脇と向うの三方に松葉の透かしのある腰板がはめられ、地板に四つの低い足がついている作品です。
また、好み物とは別に箱書きも多く残されていました。
武者小路千家5代目文叔宗守と同様に優れた審美眼を持ち、多くの作品を鑑定し数々の名品を残したと言われています。