買取強化中の茶道具

6代 真伯宗守(静々斎) 1693-1745

真伯宗守の生涯


真伯宗守は、武者小路千家5代文叔宗守の子として1693年に生まれ、父親の他界を機に15歳で6代目を襲名し、高松松平家へ出仕します。
芸術肌の茶匠と呼ばれた真伯宗守に能書や手捏ねなどを作らせれば右に出る物はいなく、才能の豊かさは歴代茶匠の中で随一と呼ばれています。
真伯宗守が活躍した時代は、江戸時代中期に差し掛かり町人文化が成熟し変革を求められた時期で、そんな難しい状況の中道統を守り新たな茶道の体制を準備するという大役を立派に務め上げました。
多彩な才能を持つ真伯宗守は、中国から伝わった唐様の文字を書く事が出来た人物としても有名で、真伯宗守が書く一行書は大変優雅な筆致を残し美しいと評判です。
また、多彩な才能の1つ、手捏ねを用いて茶碗などを作り、晩年には1年で約50個の焼き物を作り上げるなどの快挙を果たしました。
真伯宗守が作った焼き物は、どれも素晴らしい作品であったと記録に残され、腕前は歴代茶匠随一と伝えられています。
多彩な才能を持ち厳しい時代を生き延びたとされる真伯宗守は、1745年、53歳という若さで惜しまれつつもこの世を去りました。


真伯宗守の好み物

現代に残されている真伯宗守の好み物はあまりないのですが、有名な作品として福寿海無量という文字を彫り込んだ宝珠釜や、清水寺地主権現の桜の木で作ったとされる地主棗などが御座いました。
また、代表的な作品では木守と呼ばれる焼き物の写しが存在し、得意の手捏ねにより製作しています。
木守とは、楽家初代長次郎の手により作られ、長次郎七種や利休七種とも呼ばれています。
武者小路千家伝来の名物として代継ぎの茶席に必ず使われる品物で、写しは武者小路千家で保管され、本歌は高松松平家へ献上しています
多彩な才能を持ち茶道の世界に大いに貢献した真伯宗守は、古流の伝統や新たな作風を織り交ぜて新しい茶道の世界を作る努力を行いました。