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15代 汎叟宗室(鵬雲斎) 1923-

汎叟宗室の生涯


汎叟宗室は、裏千家14代碩叟宗室の息子として1923年に生まれ、1964年に父が亡くなりそれに伴い41歳で15代目を受け継ぎます。

幼い頃は体が弱かった汎叟宗室ですが、馬術で体を鍛え1943年の太平洋戦争では終戦まで海軍に在籍していました。

太平洋戦争の終戦間際には海軍少尉となり、特攻隊長として最後の出撃を待っている最中終戦を迎え、複雑なきもちを残したままとなりました。

この戦争での苦い経験は、汎叟宗室の心にキズを負わせ長い間苦しめたと言われています。

そんな苦しむ汎叟宗室を救ったのが父の碩叟宗室のたくましい姿でした。

茶道を経験したいという進駐軍の将校や兵士たちを屋敷に上げて、無作法をした者には誰であろうと厳しく叱りつけたとの事です。

その父の姿を見た汎叟宗室は平和は戦争などでは生み出されない、文化を通ずる他にはないと強く思い、「一碗からピースフルネス」をモットーに掲げました。

また、戦後には同志社大学の法学部、経済学科を卒業し、大徳寺管長瑞巌禅師に参禅、得度して鵬雲斎玄秀宗興居士と号しました。

その後ハワイ大学で美学を修学し、茶道文化の継承に貢献するだけではなく、国外にも茶道発展の為大いに活躍します。

世界各地に裏千家の支部を構え、茶道の海外普及と日本文化の紹介に力を注ぎ、また茶道のテレビ番組にも着手し、意欲的に取り組みました。

2002年には裏千家を長男の玄黙宗室に譲り、現在は大宗匠千玄室と名乗っています。


汎叟宗室の好み物


現在は隠居の身にある汎叟宗室ですが、引退する前には多種多様な作品、好み物を残しています。

自らが製作したのは、瀬戸、大樋、備前、楽焼などの利休流の侘び寂びの作品ですが、好みはまた違った作風になっています。

古流を踏まえながら現代風の華やかな作風が多く、言葉にすると鷹揚にして善美とも言えました。

隠居の身としている現在でも、大宗匠の名で呼ばれている程有名で、現在でも愛される汎叟宗室の人柄が好み物からも感じ取れます。