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5代 常叟宗室(不休斎) 1673-1704

常叟宗室の生涯


裏千家4代仙叟宗室の長男として1673年に生まれ、父、仙叟宗室の死後、25歳で5代目裏千家を継ぎました。

5代目を継いだ常叟宗室ですが、悲劇の人と語られる事の多い宗匠と言われています。


常叟宗室は、父、仙叟宗室が50歳を過ぎた時に後妻との間に生まれましたが、母は常叟宗室が3歳の頃に亡くなっています。

母の亡き後、父、仙叟宗室とともに京に移り茶道を学び、父が亡くなった後、常叟宗室25歳で5代目裏千家を継ぐ事となります。

しかし、当時の加瀬藩は先代と先々代の藩主が数寄好みだった為多くの茶人が在籍し、その中でも茶頭を務めるのは経験を積んだベテランでした。


さらにとても寒い場所だった為、元々体の弱い常叟宗室にとって凄く居心地の悪い場所だったそうです。

この状況を見かねて救いの手を差し伸べてくれたのが当時の加賀藩主、前田綱紀でした。


これにより、裏千家は幕末まで松山藩久松家に仕える事となりましたが、前田家と仲が悪くなっていた訳ではないと言われています。


激動の時代を生き抜いた常叟宗室でしたが元々体が弱かった為、1704年、32歳という若さでこの世を去ります。


常叟宗室は7年間という短い期間で5代目を終えた為、作品は多く残されませんでした。

その中でも最も有名とされているのが甲赤茶碗と呼ばれる品物です。


形は簡素ですが、鮮やかな朱を使っていて、色使いや塗りなどで所々に緊張感を出し簡素であるのに華やかさが見える作品となっています。