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5代 良休宗左(随流斎) 1650-1691

良休宗左の生涯


久田宗利の子で久田宗全の弟にあたります、子がいなかった4代目江岑宗左の養子として家を継ぎました。


はじめ宗巴を名乗り、のちに宗左となりますが、自ら好んで人編のある「宗佐」を用いたため「人偏そうさ」と呼ばれました。

宗匠ながら大変ユニークな考えをお持ちの方でした。


義父の江岑宗左が、良休宗左の為に千利休の事や千家茶道のありようについてまとめた江岑夏書を元に義父の江岑宗左と同じく茶の湯を体現します。


また良休宗左は、茶道具の好みについて伝わるところが少ない宗匠の一人と言われています。

数少ない好みとしては、千利休流を好んでいたので黒を基調とした真塗の手桶水指や蔦の茶器、長板など非常にシンプルな作品が知られていました。


42歳で没しましたが箱書きや茶杓、棗といった作品例は少なくないため、器量人であったと考えられています。

逢源斎が「江岑夏書」を残したように、随流斎も晩年に後継者のため「随流斎延紙ノ書」という茶の覚え書きを記しました。

「江岑夏書」同様こちらも茶道史の一級史料として扱われています。