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茶釜(ちゃがま)

釜とは湯を沸かすための鋳鉄製(ちゅうてつせい)の道具です。
釜でも茶に使用する湯を沸かすための釜を茶釜と呼び、

風炉に用いる茶釜を風炉釜と呼びます。
茶釜は分福茶釜などで有名で、

小さなものは直径30cm程度の物からあります。

茶の湯釜の発生を大別すると、芦屋釜と天明の二つに分かれます。

また茶釜はほとんど炉の上に直接据えて使用しますが、

天井から下げた鎖にかけて用いる小ぶりの茶釜も存在します。
これは「釣り茶釜」といい、春先に使われます。


釜の主な種類

:天命釜・・芦屋釜と並び称された関東代表的茶釜で、下野国佐野庄天命の地で作られた釜の総称となります。天明や天猫とも呼ばれ天猫は利休が洒落て付けたと言われています。

天命釜が作られ初めたのは鎌倉時代と言われ、室町時代の末には芦屋釜と並んで称されるようになりました。

丸形で無地紋の作品が多く、釜肌は粒子の粗い荒膚や小荒膚、弾膚、挽膚などが特徴で侘びた作風が多くの茶人に好まれました。

 

:芦屋釜・・筑前国や遠賀川の河口にある山鹿庄芦屋津で作られた釜の総称で、鯰肌でヘラ押しにより模様がデザインされているのが特徴です。

また、鋳型の中空部作る為内に収める型である中子が、挽中子と呼ばれる、縄を巻いた上にもみ殻、寸莎、髪の毛などを混ぜた土を塗り、軸を回転させる方法で作られる為釜の内側に挽き目がうっすらと残るという特徴も持っています。

 

・その他細かな種類

丸系

 

:真形・・厨房以外で茶を煮だす事を目的とし風炉にかける釜として鎌倉時代の初期に考案された、最も基本的な釜の形です。

平釜の形を元にして内側に繰り込んだ繰口、胴の上部と下部の境目に錣羽と呼ばれる羽を付けた形が特徴となっています。

 

:責紐・・天命釜が作られていた時には責紐釜も製作されていたと言われ、口元は小さく口の横に鐶付が付き丸い肩が特徴の作品です。

作られた当初は、肩が緩やかで裾が開いた形でしたが、桃山時代に入ると肩の張りが強く肩から胴の線が丸釜に近くなって行きました。

また、貴人に献茶をする際鐶付部分に紐を通して口を封印するのに用いたとされ、口に紐を通して責めるという事から責紐釜と名付けられたと言われています。

 

:平・・天明時代の後期の作品で、浅く平たい形が特徴となっています。

京都で作られた平釜は、江戸時代初期の釜師辻与次郎や、辻与次郎と共に活躍した藤左衛門などが作った作品が残されていますが、大茶人とされる千利休は平釜を好まなかった為茶室で用いられる事が無くなり衰退していきました。

 

:塩屋・・まるで猫耳をつけたような形が可愛らしいこの釜は、塩屋釜と呼ばれふっくらとした乙御前形が特徴の釜となります。

海水を煮て塩を作る塩焼小屋をモチーフとして作られた塩屋釜は、塩焼小屋の形を型どった鐶付、青海波と貝の地紋で海を表しています。

鐶付は空洞で釜と繋がっているので、お湯を沸かすと鐶付の穴から湯気が吹き出す様子を塩焼小屋に見立てています。

 

:丸・・天明時代の後期に作られた丸釜は、全体的にふっくらとした丸い形の釜で、多くの名物釜の形状は丸釜からきていると言われています。

平釜と同様に、江戸時代初期の釜師辻与次郎や、辻与次郎と共に活躍した藤左衛門などが作った作品が残され、利休は与次郎が作った輪口の唐銅蓋で鬼面鐶付の丸釜を好んだと言われています。

 

:日の丸・・口が小さく作られ、真ん丸な形が日の丸に似ている事から日の丸釜と名付けられました。数多く作られた日の丸釜ですが、中でも辻与次郎が作った日の丸釜を利休は好んで使っていたと言われています。

 

:切合・・五徳などを一切使わず風炉の縁に直にかけて使う釜で、風炉と釜の口をきちんと合わせる事から切合釜と呼ばれました。切合釜は決まった形がないのですが、箆被釜が典型的な形と言われ、また切掛や切懸とも呼ばれています。

 

:四方口・・千宗旦好みの四方口釜は、通常丸形の甑口を四角形、底を尾垂釜のようにした所が特徴の釜となります。

その中でも裏千家の八代目一燈宗室は透木釜の口を四角にし、又隠の二文字を鋳出した又隠口四方透木釜を好んだと言われています。

 

:阿弥陀堂・・江戸時代初期の釜師、辻与次郎が始めに作ったとされ、その後与次郎の弟子の弥四郎や一緒に活躍していた藤左衛門などの数多くの京釜師により写しが作られました。

阿弥陀堂釜は数多くの名前の由来が存在しますが、阿弥陀堂の僧が依頼して釜を作らせた説が有力だと言われています。

 

:筋・・筋釜は名前の通り筋の入った釜で、胴の周りに数段の筋目を鋳出したのが特徴となっています。

同じような種類で糸目釜がありますが、糸目釜は筋釜より細い筋が入っていて、それが糸のような細さである事から糸目釜と呼ばれています。

 

肩衝系

 

:面取・・肩や胴の側面を曲面にしないで大きく角を削り取った形が特徴的で、芦屋や天明でも作られていた釜です。また、江戸時代の代表的茶人として名高い松平治郷は、代々釜師の家系である下間庄兵衛の作った面取釜を好んで使っていたそうです。

 

:矢筈・・肩から口縁にかけて斜めに落ちたような形で、胴は少し寸胴な形状が特徴です。

矢筈釜の矢筈とは、矢を弦につがえる為に凹字形になった矢の頭部の事を指し、これと同じような形状をしている事から矢筈釜と呼ばれました。

また、裏千家の四代目仙叟宗室は、江戸時代中期の釜師、初代宮崎寒雉が作った姥口で撮鐶付、唐銅梔子撮の蓋が添えられ、全体的に窠の多い侘び釜を好んで使っていたと言われています。

 

筒系

 

:達磨堂・・江戸時代前期に臨済宗の僧として活躍した、清巌宗渭が建立した達磨堂にあった香炉を表千家6代目原叟宗左が釜に仕立てた事から始まったとされています。

撫肩四方釜で尾垂、香炉耳、共蓋、胴に達磨堂と書かれているのが特徴となっています。

 

:立鼓・・千宗旦が好んだとされる立鼓釜は、胴の真ん中がくびれて上下に広がっている形が特徴の釜です。

この形は太鼓を立てた様子に似ている事から立鼓、また下より上の膨らみの方が大きい事から瓢箪を逆さにしたような形にも似ている為箪瓢釜とも呼ばれています。

 

:富士・・筑前芦屋や、博多芦屋で天正から慶長の頃にかけて盛んに作られた富士釜は、口が小さくて肩から胴にかけて裾が広がっている様子が富士山に似ている事から名付けられたと言われています。

また、盛んに作られた後の時期には霰や霙などが多く、籠目や雁、兎などが描かれるなど様々な作品が作られました。

富士釜は多くの茶人に好まれた事でも知られ、裏千家四代目の江岑宗左は四方富士釜、表千家七代目の天然宗左は擂座富士釜などが好んだとされています。

 

:車軸・・天明釜によく見られる釜で、轂や轂の中心に車輪が通っているような形から、車輪釜と呼ばれています。

腰の周りが広く、胴から口にかけて狭まって立ち上がった形が特徴となっています。

 

:雲龍・・利休が好んだ釜の一つで、大中小の大きさがあり、大きい物は天明作で小さい物は芦屋作と言われています。

雲龍釜の表面には雲に乗って昇天する龍が描かれている事から名前の由来となり、武野紹鴎が作った青磁雲龍水指を見た利休が図柄を移し釜師の辻与次郎に作らせたと言われています。

 

:瓢箪・・名前の通り瓢箪に似ている形で、中央部分がくびれていて上が小さく下が大きく膨らんでいる形が瓢箪に似ている事から瓢箪釜と呼ばれるようになりました。

利休や遠州、仙叟宗室などの数多くの茶人に好まれている瓢箪釜は、下が小さく上が大きい形の箪瓢釜などもございます。

 

角系

 

:四方・・利休が好んで使っていた釜の形状で、晩年の頃は茶会などで頻繁に用いられていたと言われています。

芦屋釜や天命釜などで古くからある形ですが、千利休が好んで辻与次郎に作らせた後は弥四郎や藤左衛門などの釜師に数多く作られました。

また、四方釜を好んだ茶人も多く、千利休の養子でもある千少庵は大きめの四方釜、千宗旦は小さめの四方釜、表千家の六代目、原叟宗左は角釜を好んだとされています。

 

:十文字・・胴が十文字の形をしている事から十文字釜と名付けられ、かなり珍しい形をしている作品となります。

安土桃山の時代に作られたとされる十文字釜は、十字釜や切支丹釜とも言われ南蛮趣味の中で生まれた物と言われました。

南蛮趣味とは自分の国では見られない作風などを製作するという意味で、まさにこの珍しい形が南蛮趣味を表していると言えます。

 

:切子・・可愛らしいデザインをしたこの釜は、切子釜と言い四角形な立方体の角をそれぞれ切った形が特徴の作品で、江戸時代の茶人、大名としても有名な片桐石州が好んだとされます。

 

:八角・・名前の通り八角形の形をした釜で、1つ1つの面に八景文様が描かれている八景釜と呼ばれる作品もございます。

芦屋釜に古い八角釜があり、名物釜として有名となっています。

 

その他

 

:裏鏊・・利休が好んだ釜とされ、鏊(やきなべ)を裏にして底に釜口を作り、別に作った底を取り付けて釜に仕立てた作品で、この様子から裏鏊釜と呼ばれています。

利休が好みとした裏鏊釜は、天命作の鏊の裏を打ち破り口として底を付け、鐶付を付けた辻与次郎が作った作品と言われ、また天命作の裏鏊釜は鏊の底が見事である事から考案されたと言われています。

 

:茶飯・・宗徳釜とも呼ばれている茶飯釜は、千宗旦の弟子である銭屋宗徳に送ったのが始まりとされ、千宗旦と銭屋宗徳の師匠、清巌宗渭が残した餓来飯と渇来茶の言葉を茶飯釜に書き記したと言われています。

口造りが広く羽が付き丸底の飯炊釜が特徴とされ、茶飯茶事に使われる事から銭屋宗徳は、自在庵一釜斎と号したと伝えられています。

 

:平蜘蛛・・透木釜として用いられていた平蜘蛛釜は、漢時代の釜様式が日本に伝わった際に足つきの鍋が竈の普及とともに廃れ、腹が張り出し羽が付けられるようになった事から始まりとされています。平蜘蛛釜の形が蜘蛛が這い回るように見えた事から名付けられ、そのほとんどが素紋の物でしたが、千利休には好まれる事はなく利休の時代には使われなくなりました。

 

:鶴首・・釜の造りがやや細長く、鶴のような首をしている事から鶴首釜と呼ばれています。

茶人の武野紹鴎や千利休なども好んで使っていたそうで、千利休は小ぶりで鬼面鐶付の共蓋の物をよく使っていたと言われています。

一般的によく使われている鶴首釜は羽がない毛切と呼ばれていますが、珍しく羽がついている鶴首羽釜や鶴首真形と呼ばれる種類も作られています。

 

:手取・・現在の鉄瓶の元祖と言われている手取釜は、天命の時代には作られていたと言われています。釜に鉉がついていて、すぐ手に取れる事から手取釜と呼ばれ三足が付いている作品も作られていたと言われています。

 

 

・釜蓋の種類

 

:一文字・・直線的な平面を持ち、これが横から見ると一の字に見える事から一文字蓋と呼ばれ、直線的な平面という事から直蓋とも言われています。

 

:掬・・縁から中央に向かって窪んだ形が特徴で、掬い取ったように窪んでいる事から掬蓋と呼ばれています。

 

:掛子・・蓋の縁が一段高くなっているのが特徴で、釜の縁にかけて使う事から掛子蓋と呼ばれています。

 

:打込・・一般的な直線型蓋とは違い、縁が高く甲が落ち込んでいる形から打込蓋や落込蓋とも呼ばれています。

 

:盛・・名前の通り、中央が盛り上がっている事から盛蓋と呼ばれ、その種類も様々ございます。

盛蓋よりもさらに盛り上がり、神輿の屋根のような形になっている蓋は神輿蓋と呼ばれ、盛蓋よりも盛り上がりが少ない蓋を薄盛蓋と呼んで使われています。

 

:恵明蓋・・中心が少し窪み周辺がふっくらとした形が特徴で、笑明、乙御前とも呼ばれている恵明蓋は、おたふくの面の膨らみに似ている事から名付けられたと伝えられています。

 

:毛織蓋・・釜蓋に文様を浮き立たせて作られた作品で、織物で使われる浮織の技法を用いて鎚で文様を作り出します。

 

:古鏡蓋・・名前の通り古い鏡などに描かれている文様などを似せて作られた蓋で、見た目はとても歴史を感じさせる作品となっています。