買取実績紹介

宜興紫砂のお買取り

作家名: 宜興紫砂
更新日: 2019/9/19

宜興紫砂 四方壺をお買取りいたしました。


写真のお品物は、いわの美術でお買取りいたしました宜興紫砂四方壺です。

中国における陶磁器の一大産地である宜興は、数百年にわたり最高品質の紫砂・朱泥茶器を世に送り出し、宜興紫砂・宜興朱泥は骨董と茶器の世界で多くの愛好家に支持されています。



宜興窯(ぎこうよう)

宜興窯は中国八古窯の一つに数えられています。

中国江蘇省無錫市の太湖西岸に位置する宜興では、唐代に青磁の焼成から工芸の歴史が始まります

宋代に褐色・茶色の朱泥と、紫色を帯びた灰黒色の紫泥という土を用いた茶器が生産されるようになり、明代には現在知られる紫砂茶壷が完成しました。

明末に文人趣味が隆盛を極めると煎茶道具を中心として宜興窯は中国全土に広く知れ渡り現在に至ります。



紫砂壺(しさへい・しさこ)

紫砂は江蘇宜興丁山黄龍山で甲泥という岩の間からとれる希少な泥料です。

空気をよく通し伝温性と保温性に富む土質で、茶器に優れた適正を持ち、長く文人に愛されてきました。

低温焼成の紫砂壺でお茶を淹れると渋みや灰汁が茶壷に吸収されまろやかな味となり、朱泥と並んで中国伝統の茶器に欠かせない存在です。

紫砂壺には型による量産品と本式の手造り品があり、宜興窯では手造り紫砂壺の作家は国と省の認定資格を保持します。



宜興紫砂の略歴

唐代に磁器の生産が始まった宜興では、欧陽修・梅尭臣などの詩に「紫甌」が登場していることなどから、北宋中期に紫砂の生産が始まったと考えられています。

宜興は南宋の首都・臨安と、明の永楽帝以前の首都であった南京に程近く、それぞれの時代の文化成熟の恩恵を受けられる土壌にありました。

明代正徳年間になると紫砂は次第に有名となり隆盛し、万歴年間には名匠がうまれ各々の流派を立てるようになり、美しさと技術を競いさらに発展しました。

宜興紫砂の手造り製法は、世界各地の陶器成型方法を見ても異質で、歴代職人によって紫砂の特殊な分子構造や造形への要求を突き詰めてきたことによって完成しています。

万歴以降は独立した生産システムが構築され、宜興の紫砂は景徳鎮の磁器と並ぶ、中国陶磁器製品の代表格となりました。



宜興紫砂壺の特殊な製法

同じ茶器であっても紫砂壺の製法は日本の急須とは大きく異なり、轆轤を用いず土を叩いて板状に伸ばしつなぎ合わせる、タタラ製法で作られています。

これは紫砂の土質が固いことに起因し、また成形し易さのために異なる土を混ぜたりしない素材への拘りも関係しているでしょう。

岩から泥までの工程でも機械で粉砕せず土を数年以上よく寝かせ、石臼で挽くなど伝統的手法が重んじられてきました。

宜興では紫砂のほか朱泥でも同様の工法で作られるため、天然の良質な土を100%茶器に使うことが可能となり、成形の技術の確かさと相まって宜興茶壷を高品質で高級なものにさせています。

写真のお品物は四角形が特徴的な四方形・四方茶壷などと呼ばれるもので、手延べで伸ばした紫砂泥の板を真っすぐにつなぎ合わせるなど成形に熟練の技術を要し、宜興紫砂のなかでも貴重な品物です。



紫砂の採掘状況

明代から数百年にわたり採掘が続けられてきた紫砂の源である黄龍山は、1955年の宜興采鉱公司設立以来20世紀後半に年間数万トン単位の大規模採掘が続けられました。

そして90年代の台湾での紫砂壺ブームが決め手となり、21世紀になると採掘し尽されたかのような姿となっています。

そのため宜興の多くの工房や作家、仲介業者は、紫砂泥は採りつくされ、かつて採取された良質な紫砂泥は作家が確保している、などの風説が実しやかに囁かれる傾向にあります。

現在でも宜興周辺での紫砂や朱泥などの採掘は行われていますが、場所が変わっていくと土質にも変化が出、それが製品にどのように作用しているかは判断が待たれます。

宜興紫砂壺・朱泥茶壷のお買取りを致します。

いわの美術では骨董品・美術品を中心に多くの品目をお買取りしております。

昨今続く中国美術の中古市場での高騰、茶道具・煎茶器の人気もあり、宜興紫砂・宜興朱泥の茶壷・水差しなどは高値でのお買取りが期待できます。

宜興紫砂をご売却の際は、ヒビや割れの有無、内外部の状態、来歴を知る鑑定書やご購入時の証明書など添付物の有無も重要となります。

また、今回のお品物のように彫刻のある品物、作家の銘の入った品物は、とくに高価買取が期待できます。

ご自宅やご実家のお片付け、蔵や倉庫の整理でご売却をお考えの宜興紫砂・宜興朱泥がございましたら、いわの美術へご用命ください。