茶道具作家紹介

加守田章二 かもだ しょうじ

更新日: 2010/04/21
1933年 大阪府岸和田市に加守田貞臣の長男として生まれる。
1950年 大阪府立高等学校図画工作研究会主催の「第3回大阪府立
高等学校展」に油彩「鶏頭」を出品、ホルベイン賞受賞。
岸和田市文化祭総合市民展に油彩画出品絵画の部
奨励賞第二席となる。
1952年 岸和田高等学校卒業、京都市立美術大学工芸科陶磁器
専攻に入学。
富本憲吉教授、近藤悠三助教授、岩淵重哉助手らが教鞭を
取っていた。
1955年 「新匠会」に出品、入選し佳作賞受賞。
1956年 京都市立美術大学工芸科陶磁器専攻を卒業、日立製作所
入社、日立市の大甕陶苑技術員となり作陶に従事。
1958年 大甕陶苑の勤務を解かれ、念願の益子で日立社員として
塚本製陶所の研究生となる。
1959年 塚本製陶所、日立製作所を退社。
益子町道祖土に部屋と登窯を借り独立。
1960年 新匠会展に「櫛目文灰釉大皿」出品、努力賞受賞。
日立商工会館にて「加守田章二・細谷昌子陶器展」開催。
1961年 「第8回日本伝統工芸展」に「鉄釉花瓶」入選。
益子に住居・窯場完成。
1964年 五島美術館主催の「第7回陶磁の新世代展」に「広口灰色
花器」招待出品。朝日新聞社共済「現代国際陶芸展」に
「黄土掛け灰釉花瓶」出品。
日本工芸会正会員となる。
国立近代美術館京都分館開催の「現代日本の工芸展」に
「灰色の花器」招待出品。
1966年 日本陶磁協会賞受賞。
日本橋高島屋にて「加守田章二作陶展」開催。
「第13回日本伝統工芸展」出品の「灰釉鉢」が文化庁買い
上げとなり後に東京国立近代美術館所蔵となる。
1968年 東京・日本橋にて「加守田章二展」開催、岩手県遠野 の
土を使った手びねりの作品を発表。
1969年 「江崎一生・加守田章二・森 陶岳三人展」開催。
岩手県遠野に築窯、仕事場も作り制作の場とする。
1971年 毎日新聞社主催の「第1回日本陶芸展」に「変形筒形彩陶・
角皿形彩陶」出品。
1973年 東京・日本橋「加守田章二展」開催。欧州各国巡遊。
1974年 昭和48年度芸術選奨文部大臣新人賞受賞。
1977年 栃木県立美術館「栃木県美術の現代」招待出品。
「第4回日本陶芸展」招待出品。
1978年 東京、」サントリー美術館開催「日本の壺100展」に
「曲線文壺、銀陶面取壺」出品。
1980年 日本橋高島屋にて日本経済新聞社主催「加守田章二陶芸
回顧展」開催。
1981年 台北国立歴史博物館開催「中・日現代陶芸家作品展」
招待出品。
白血病のため宇都宮国立病院に入院。
1982年 自治医科大学付属病院個室入院、病室で水彩画、ペーパー
デザインを試みる。
1983年 2月26日 没