茶道具作家紹介

金森映井智 かなもり えいいち

重要無形文化財保持者(人間国宝)
更新日: 2009/10/16

金森映井智の生涯~人間国宝の品を買取ります~

金森映井智は1908(明治41)年生、富山県高岡市に生まれの金工作家です。
高岡市母衣町(現京町)で、七人兄弟の長男として生まれました。
本名は榮一といい、金森映井智の生家は仏事用の菓子の製造販売業を営んでいました。
小学校を卒業すると高岡の地場産業である銅器工芸で身を立てることを決意するのですが、師であった内島市平のすすめでに富山県立工芸学校に入学しました。そこで彫金、鋳金、鍛金、板金など、金工の幅広い知識を習得します。さらに金森は日本画を中島秋圃に師事し、卒業後は内島の内弟子として二年間彫金技法を学びました。金森映井智は職人ではなく作家としての道を歩むのです。
1941年には母校である富山県立工芸学校に非常勤講師として迎えられ、公募展の入選を目指しながら多くの後進を育成しました。富山県や高岡市の美術工芸指導者として県展や市展をはじめ、その他の美術展や美術団体でも活動を展開してきました。
1957年からは日展を離れ、第4回日本伝統工芸展に「青銅瑞鳥香炉」を出品し初入選します。以後は同展を舞台に、金、銀の線象嵌、布目象嵌による作品を発表しました。金森映井智は1962年に日本工芸会正会員となります。


金森映井智の作品、買取について

 

戦後すぐの金森映井智の作品には、写生をもとにつくり出された具象的な草花文が多く用いられており、この時期の金森映井智作品の特徴となっています。
金森映井智の作品は鋳銅製で、その多くは花器でありますが、金森は花器に具象的な意匠は不似合いと考え、直線や曲線による幾何学的模様を意匠に用いました。
いわの美術では。高岡師の伝統技法である「浮象嵌」を基本に、さまざまな象嵌技法を組み合わせ、現代感覚にあふれた重厚な作風で独自の世界を築き上げた金森映井智の作品を買取りしております。
金森映井智の作品買い取りはお問い合わせ・無料査定フォームもしくはお電話よりお願いします。


金森映井智の経歴、発表など 

1930年:商工省第17回工芸展覧会に初入選、褒状受賞 无型展 入選。
1933年:第14回帝展「胴張型青銅花瓶」が初入選。以来、帝展、文展、日展に入選。
1946年:日展初入選、以後毎回入選
1957年:第4回日本伝統工芸展に「青銅瑞鳥香炉」を出品し初入選。以後、毎回入選。
1962年:日本工芸会正会員となる。
1970年:東照宮 立木観音堂天蓋金具協作。
    富山県政功労者表彰受彰(美術)
1971年:法隆寺 金山寺大香炉象嵌協作
1973年:号を「映井智」と改める。
1976年:第23回日本伝統工芸展「鋳銅象嵌六方花器」が日本工芸会総裁賞を受賞。
    高円宮総裁賞受賞
1977年:日本工芸会金工部会評議員。
1980年:日本工芸会鑑査委員と審査委員(1982年,1983年,1984年,1985年)務める。

     勲四等瑞宝章受章。
1981年:日本工芸会理事に就任。
1989年:「彫金」で富山県初の重要無形文化財保持者(人間国宝)に認定。
1990年:高岡市名誉市民の称号授与。
1991年:「金森映井智回顧展」富山県民会館美術館
2003年:没後初の回顧展「金森映井智の偉業を偲んで」高岡市美術館
金森映井智