茶道具作家紹介

田原陶兵衛 たはらとうべえ

萩焼の陶工
更新日: 2009/10/28
萩焼の陶工。田原家の通名。豊臣秀吉公の文禄・慶長の役に際して、
日本に渡来した朝鮮の陶工李勺光の高弟として共に広島から萩に移住し、
松本の御用焼物所に御雇細工人として召し抱えられた
松本ノ介左衛門を始祖とし、三之瀬焼物所開窯者の一人赤川助左衛門を
初代として、代々赤川助左衛門を称す。
幕末の九代喜代蔵の嫡男謙治が田原姓を名乗り、以来田原陶兵衛を称する。
○初代赤川介左衛門、明暦3年(1657)萩松本より深川三之瀬に移住し、
蔵崎五郎左衛門に協力し三之瀬焼物所を開窯。
○二代松本助左衛門、寛文年間、支藩岩国吉川家より度々焼物御用を
仰付かる。寛文八年、岩国にて陶技指導。○三代赤川助左衛門(三左衛門)。
○四代三左衛門(佐兵衛、左々ヱ門)。○五代喜右衛門(忠兵衛)、
宝暦十三年、一族共同の窯、東ノ新窯を増築する。
○六代赤川喜右衛門、安永三年、赤川姓の一代名字を許される。
天明三年、「由緒並名字御免之証拠物」を藩庁へ提出。
天明六年、御雇細工人として召し抱えられる。○七代赤川忠兵衛。
○八代赤川喜代蔵、晩年毛利家の御一門、吉敷毛利家の御家頼分となる。
○九代田原謙治、慶応元年、吉敷毛利家の御家頼田原家の名跡を嗣ぐが、
引続き深川三之瀬にて家業に従事する。○十代陶兵衛(高麗陶兵衛)。
守雄。現在地に新しく窯を築く。ドイツ等外国を含め各地の博覧会に
出品し萩焼振興に努める。○十一代陶兵衛(高麗陶兵衛)、忠太郎。
十代陶兵衛の長男。昭和18年(1943)技術保存窯指定。
昭和22年(1947)芸術陶器窯認定。○十二代陶兵衛。
源太郎。昭和元年(1925)十代の二男として生れる。
昭和31年(1956)兄の死去により十二代を襲名。
昭和56年(1981)山口県指定無形文化財萩焼保持者認定。日本工芸会理事。
○十三代陶兵衛、謙次。昭和26年(1951)十二代の長男として生れる。
武蔵野美術大学、同大大学院卒業後、中里重利に師事。
平成4年(1992)陶兵衛襲名。日本工芸会山口支部展奨励賞受賞。
田部美術館茶の湯の造形展入選。
西日本陶芸美術展入選。日本工芸会正会員。