茶道具作家紹介

玉楮象谷 たまかじ ぞうこく

江戸時代の漆工職人
更新日: 2018/04/29

玉楮象谷について


玉楮象谷は、中国の竹彫の文化を「讃岐彫」として日本独自の竹彫を確立させました。竹彫をはじめとした日本の漆工技術の向上に貢献した人物として有名です。



玉楮象谷の略歴(1806~1869年)


玉楮象谷は高松出身の江戸時代の漆工職人です。中国渡来の芸家の子孫である堆朱楊成の門弟で、名は為造です。

20代の頃に唐(中国)伝来の漆塗の技法を京都で学びます。また、京都において多くの文人との交流から漆工以外にも多くの事を学びました。永楽保全からは陶芸、貫名菘翁篠崎小竹(しのざきしょうちく)からは儒学と書、大綱宗彦からは和歌や茶の湯を学びました。こうした学びは後に彼の作品表現の基盤となっていきます。

玉楮象谷がその頭角を表すようになると、讃岐国高松藩9代藩主の松平頼恕に認められ、30歳で帯刀を許可されました。独自の技法により編み出された作品は「蒟醤(キンマ)」と呼ばれ、神業と称されました。34歳で献上した犀角印籠は多いに褒められ、「玉楮」姓を賜るに至ります。

玉楮家はその後3代で明治末期に途絶えましたが、私淑した音丸耕堂磯井如真らが讃岐漆芸を伝承し、伝統工芸品としての地位が確立しました。


玉楮象谷の作品と蒟醤塗の技法


蒟醤塗」とは、玉楮象谷が独自に編み出した漆彫の技法です。細く彫りこんだ溝に色漆を埋めて、均一に研ぎ出していくことで模様をつくります。漆の表面を研ぎ出して模様を作るという点では「沈金」の技法と似ていますが、沈金は全ての模様を彫った後に金箔や金粉を押し込むのに対して、蒟醬は、色漆ごとに彫るという方法を取っています。

玉楮象谷が完成させたキンマ技法は、弟の藤川黒斎が受け継ぎ、香川のキンマ漆器の技として芸術性をより高めていきました。



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