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4代 江岑宗左(逢源斎) 1913-1672

江岑宗左の生涯


千宗旦の三男で、宗旦の隠居に伴って不審菴を継承します。


紀州徳川家に茶頭として出仕しており、これ以降代々表千家では茶頭として紀州徳川家に出仕することとなりました。


表千家は、江岑宗左が千家嫡流を継いだことにより正式に始まり、後に兄の宗守が武者小路千家、弟・宗室が裏千家を起こした事により三千家と呼ばれました。


江岑宗左は紀州徳川家の茶頭として大いに活躍しましたが、それは父、千宗旦の多くの助けがあったからと言われています。

また江岑宗左が紀州公の茶頭としての地位も確立し茶道の世界の大いに貢献して活躍した当時、江戸幕府が確立し天下泰平に向かいつつあり、非常に落ち着いた時代を過ごしたと言われています。


また、千利休流の質素で侘びに行き過ぎる事もない道具を好み、竹の花入や柴の庵と呼ばれる茶碗がゆかりの品として有名です。


あまり江岑宗左好みの作品はないと言われていますが、唯一好んで使っていたのが三木町棚だと言われています。
江岑宗左が紀州の表千家下屋敷があった三木町にちなんで作らせた物で、江岑棚とも呼ばれているそうです。
その他にも、朱塗りの水桶なども作らせたそうです。


また宗旦没後に宗旦の時代の伝承が失われるのを恐れ、5代目随流斎のため「江岑夏書」等の茶書を綴っています。これには利休に関する伝承も多く記されていて、利休の茶の湯を知る、茶道歴史の一級史料となりました。