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中川自然坊のぐい呑のお買取いたします

2018/05/26

中川自然坊のぐい呑のお買取いたします





こちらのお品物は、胎土の限界直前まで焼き込む苛烈な窯焚きをすることで知られる、中川自然坊の『朝鮮唐津片口ぐい呑』です。只今いわの美術では、中川自然坊の作品のお買取に力を入れております。

ご売却をお考えの方は、茶道具や陶磁器類のお買取に強いいわの美術」にご相談ください。






中川自然坊について


中川自然坊は1953年佐賀県に生まれます。高校を卒業した後、一般企業に就職しますが、24歳の時に焼物好きの上司から陶芸家になることを勧められたことで、陶芸家を目指し退職しました。

1977年に唐津焼の窯元の一つである、鏡山窯の井上東也に師事し作陶を始めます。また、修業と同時に、農家から野菜を仕入れ、福岡で小売販売して独立資金づくりに励んでいました。自宅から修業場所の鏡山までは、起伏の激しい道のりを走って通い、中川自然坊は独立資金づくりも修業も力の限り尽くしました。

 

そして、3年半の修業を終えた1982年に念願の独立を果たします。自宅に工房と割竹式連房窯を築き初窯をあけます。

当初は思うような作品が作れず苦悩しますが、多くの人や陶芸家との出会いがあり、次第に独自の焼成技術や胎土の選定を見出していきました。

1985年にはしぶや黒田陶苑にて「中川自然坊展」というデビュー展を開催し、その後東京の小田急百貨店にて個展を成功させます。

翌年には陶芸雑誌である「炎芸術」に中川自然坊の作品が掲載されるなど、作品が認められ多くの人々の目に触れるようになります。個展の反響は大きなもので、初日で100個のぐい呑が売約となるほどでした。


多くの評価を受けてからは、奥高麗茶碗の復元や、李朝時代を模した枇杷色の井戸茶碗の焼成にチャレンジするなど、唐津焼の原点にかえって多くの素晴らしい作品を生み出しました。

大いに将来を嘱望されていましたが、2011年惜しまれつつ心臓疾患からくる多臓器不全のためこの世を去りました。

中川自然坊の影響力は陶芸界のみにとどまらず、彼の名前に由来した「自然坊」というとんかつ屋さんがあるほど、多くの人々に愛されました。そのお店では、彼の作品で食事を楽しむことも出来るそうです。

若くして亡くなったこともあり中川自然坊の作品は入手が難しく、ネットなどでもほとんどが売約済みとなっています。



中川自然坊の作品について


中川自然坊は、朝鮮唐津、奥高麗、大井戸、絵唐津、粉引唐津、刷毛目唐津、青唐津などを製作しています。特に中川のつくり出す粉引は、高温で焼かれる為汚れる事無く、使い込むほどにその魅力が増すと言われています。


中川自然坊の作陶の姿勢は、古唐津や李朝時代の陶器の魅力の追求と、それを現代の唐津焼として独自の焼成方法などによって表現するというものでした。

古唐津の発色や風合いをいかにして現代によみがえらせるかに力を注ぎました。

古典的で素朴な造りの中で、苛烈な炎の中で耐え抜いた胎土が限界寸前でひしゃげた姿は豪快で見どころのある作品ばかりです。



中川自然坊の作品のお買取について


中川自然坊の作品は、中古市場での人気が高いお品物で高価買取が期待できますが、作品によって買取額に幅があります。

中川自然坊の作品の中で特に人気が高いのは、青唐津、奥高麗、彫唐津、枇杷井戸など古唐津を倣した作品です。壷、茶碗、水指などの茶陶と、徳利やぐい呑、向付などの懐石道具や酒器を製作していました。

写真で掲載しているぐい呑などの小物は、茶陶や大物作品に比べるとやや人気が下がる傾向にあります。ただ、造り・出来の良さや状態によっても査定額が左右しますので、具体的なお値段をお知りになりたい方はお問い合わせください。また、HPお問い合わせフォームや、公開メールアドレスより、お品物の写真をお送り頂くと、簡易査定が可能です。ご売却をご検討中の方はぜひ、ご利用ください。

いわの美術では、中川自然坊以外にも、様々な陶芸家の作品のお買取を行っております。また、練習用のお茶道具一式のご処分のご相談も受け付けしております。茶道を習っていた・教えていたが辞めてしまった方の整理のご対応も致しております。