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薄茶器(塗物)の豆知識

2017/05/01

薄茶器(塗物)の豆知識

   

薄茶器の素材には、木地物、陶磁器、象牙などがありますが、主には塗物が使われます。塗物の薄茶器は、棗のほか、金輪寺、中次、雪吹などがあり、好み物などを含めると器形、意匠が多彩です。

   

薄茶器の代表格であるは、植物の棗の実の形をした塗物の茶器を指します。一般に棗は、薄茶に用いられることが多いですが、桃山時代の茶会記では濃茶にも使われており、現在でも、黒塗の棗などは濃茶に使用されることもあります。

   

薄茶器の歴史


塗物の器が茶の湯で使われるようになったのは、室町時代初頭といわれています。当時の文献に茶桶、薬器、頭切などの名称がみられます。


室町時代後期~桃山時代初期には薬籠(ヤロウ、中次のようなもの)、金輪寺などが、棗に先行して使用されました。金輪寺は蔦の木を素材とした筒状の茶器で、その本歌には後醍醐天皇勅作という説があります。


16世紀後半、千利休が活躍する時代になると高さと径がほぼ同じサイズにつくられた利休形の棗が盛んに使用されるようになりました。 現在では、この利休形棗が定型となっており、大棗・中棗・小棗の三種があります。

   

当時の棗は黒塗が主流であると考えられていますが、利休所持と伝えられる平蒔絵(金粉を蒔いて文様を描き、その後簡単に漆で金粉を押さえる技法)の棗も伝世しているところから、加飾が施された棗も使われていたようです。

紹鴎時代には、余三、秀次、利休時代には盛阿弥、記三といった有名塗師の名が確認されています。

   

江戸時代以降の棗

   

江戸時代になると、塗物の薄茶器の様相もさらに多様化します。現在伝世している棗の多くは江戸時代以降につくられたものです。

   

蒔絵の施された棗で、早くからつくられていたものに嵯峨棗があります。嵯峨棗は町棗の系統を引くもので、平蒔絵を中心に枝垂桜、藤、柳などの文様が描かれたものです。嵯峨棗の名称は、江戸時代中期、武者小路千家四代直斎が書いた箱書きが最初の例とされています。

   

蒔絵師の山本春正が造ったとされる棗は、一般に春正棗と呼ばれます。山本家は江戸時代前期の初代以降、明治時代まで続き、江戸時代を通して棗をつくった家系です。内部には花鳥などの文様が施された、研ぎ出し蒔絵の優美な棗が特徴で、形としては平棗が多くみられます。

   

また、尾形光琳や琳派系の蒔絵師も、草花などの文様を蒔絵、青貝を用いて器表一面に施したような装飾性豊かな棗を多くつくっています。

   

しかし、江戸時代後期に入ると作風にも変化がみられます。それまでの題材は、菖蒲、紫陽花などの草花や、源氏物語、伊勢物語などの一場面、ひな祭、祇園会などの年中行事など、多彩でおおらかなものを用いていたものが、江戸時代後期になると技巧的なものへとシフトし、作風にもおおらかさみられなくなっていきました。

   

茶人好みの棗

   

棗には茶人が好んだものが多数みられます。千利休が盛阿弥などにつくらせたものが初期の例となります。この利休好は、江戸時代に大中小の棗、一服入棗、白粉解、茶桶、面中次、大小の雪吹雪などが定められ、その後の好み物の基本となっています。

   

初代飛来一閑(1578~1657年)がつくったものは、宗旦の好み物とされています。一閑は木地に和紙を張り、漆を塗った茶器をつくり、その柔らかな風合いと詫びた風情が宗旦に愛されました。その後、この一閑の技法は黒塗とともに、茶器の代表的な技法として定着しました。

なお、宗旦の塗師としては、一閑のほか関宗長がいます。関宗長は伝統的な技法で利休好の棗をつくっています。

   

宗旦に茶の湯を学んだ藤村用庸軒(1613~1699年)も多くの好み物を残した茶人として知られます。

代表的なものに凡鳥棗、望月棗などがあります。凡鳥棗は利休好の桐文棗をもとに好んだ棗で、「世説新語」の鳳の文字を上下に分けると、凡鳥になるという逸話を題材としています。

この庸軒好みをつくったのが初代中村宗哲(1617~1695年)です。中村家は、初代以降も塗師を継ぐ千家十職の家系で、現代十三代まで至っています。三代宗哲は利休遺愛の茶道具から型を写し、十二器をパターン化したことで知られます。

   

千家をはじめ各流派の歴代家元もそれぞれ好み物を残していますが、中でも最も印象深い姿のものとされるのが、裏千家五代不休斎常叟好の甲赤茶器があります。蓋が朱塗で身が黒塗り、甲が水平にとられた裾が丸い薄茶器です。

   

また、裏千家七代最々斎竺叟には、西行が馬を繋いだとされる桜の古材を用いた溜塗の駒留棗があります。以後、このように古材を用いて木目がみえるように溜塗することが、常套となり、現在も受け継がれています。

好み物の棗は、好まれた背景や好んだ茶人の教養などを踏まえると興味深いものが多くみられます。

   


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