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水指の歴史 ~ 茶道の知識

2016/09/12

水指の歴史 ~ 茶道の知識


水指(みずさし)は、点前に使う水を入れておく器のことです。

水指は、点前のときに釜に注ぎ足す水や、茶筅・茶碗などを清める水を入れておく器で、「水器」と呼ばれることもあります。また、「水差」と書かれることもあります。


水指はもともと、皆具の一つであったものが、個別に使われるようになったとも、日常雑器から取り上げられたとも考えられています。

室町時代初期に描かれた絵画によれば、木地曲に漆を施した大きな器を炉辺に置いて、水入れとして使っていたという描写も残されています。

また、唐物の古銅や砂張などの金属性や、青磁などのやきもの、真塗の手桶などが水指として使われていたことが古書にみられます。


村田珠光の登場により、次第に国焼の種壷や芋煮桶といった日用品が水指として使われるようになっていきました。それは、煌びやかなものに対して、侘び寂びの美をみつけ、小間の茶室に似つかわしい水指として使われるようになっていったということが、茶会記から推測されます。


武野紹鴎千利休の時代になると、南蛮渡来の焼き締めや、国焼に加えて、室町時代初期の木地曲、釣瓶、手桶が用いられ、また、真塗の手桶の水指なども使われるようになりました。


古田織部小堀遠州の頃には、美濃焼の志野や織部など各地の国焼や、朝鮮陶工たちが開いた九州・中国地方の窯場の水指が好まれたとされています。


江戸時代初期には、野々村仁清により、絵付けの陶器が大成され、金森宗和の助言により美しい模様や、形の水指が考案されました。


同時に、「小染付(こそめつけ)」と呼ばれる、中国・景徳鎮の民窯への注文品がもてはやされるようになったようです。小染付というやきものは、見た目は粗末な磁器ですが、侘び寂びを好む茶人の好みにかなったらしく、日本だけに大量に輸出されていたようです。

この小染付は、白地の素地に呉須で文人趣味の山水や花鳥図などが描かれたもので、やがて「祥瑞(しょんずい)」と呼ばれる上質な磁器へと発展していきました。


また、南蛮貿易船がもたらした阿蘭陀(オランダ)や宋胡録(スンコロク)、安南(アンナン)など東南アジアやヨーロッパの水指も用いられるようになりました。


和物の磁器の水指は、京焼の発展に貢献した奥田 頴川(おくだ えいせん)の登場まで待たれ、その後、多くの名工による秀作が生れました。 水指には、やきものの種類も形状、意匠も数多くあり、文字通り多種多様です。


現今では、夏にガラス製の水指が使われることもあり、季節ごとに、また趣向によって取り合わせるのが楽しみな茶道具の一つとなっています。