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池田退輔の作品お買取り致します

2018/01/31

池田退輔について


池田退輔は、山形県出身の陶芸家で本間焼の名を世の中に広めた人物でもあります。

大正12年に生まれた池田退輔は、24歳の頃創立してから間もない本間美術館の職員として働くようになります。

この本間美術館で働いた事により、この後池田退輔の人生が大きく変わる事となりました。

池田退輔が本間美術館で働き始めてから9年後の昭和31年、当時本間美術館で館長をしていた本間祐介が初代長次郎の作った楽焼を見てその美しさに惹かれ購入します。

また、この当時陶芸家の浅野陽や三浦小平二の指導を受け、小さい庭園に窯を作り自らも楽焼を作る事となります。

池田退輔も本間祐介と一緒に楽焼を学んでいる内に陶芸の世界に魅了され、昭和35年37歳という少し遅めの年ですが陶芸の世界に足を踏み入れました。

この当時陶芸家になる人は、親の跡を継ぐという人が多い時代でしたので、親が陶芸家でもなかった池田退輔にとってはとても狭き道で自らも「とても難しい道を選んでしまった」と生前語っていました。

池田退輔は、楽焼を学ぶ為に本間美術館で寝泊まりをして美術館が閉館した後に品物を手に取って研究していたそうです。

その後、木地師の村瀬治兵衛や陶磁器研究家兼陶芸家の小山不二夫などから陶芸を学ぶようになりました。

陶芸家としてのデビューは遅かったものの、地道な努力により池田退輔の作品は高い評価を受けました。



本間焼の成り立ち


池田退輔が作っていた作品は、楽焼の一種で本間焼という焼物です。

この本間焼とは、山形県にある本間美術館という所で作られた事から本間焼と呼ばれていますが、焼物自体は楽焼となっています。

本間焼が作られた本間美術館とは、山形県の大地主である本間家が集めてきた骨董品や美術品を展示・保管する為に作られた美術館で、昭和22年に創立しました。

本間美術館が創立してから9年後の昭和31年に、本間美術館二代目館長の本間祐介が初代長次郎の作った楽焼に惚れ込み、美術館の庭園に小さな窯を作り焼物を製作したのが本間焼の始まりと言われています。

その後、二代目館長の本間祐介と当時本間美術館で働いていた池田退輔の2人で作るようになりましたが、池田退輔が陶芸の魅力に取りつかれ本格的に陶芸家として製作を行うようになりました。

池田退輔の活躍によって本間焼の名は多くの人々に知れ渡り、現在では池田退輔の息子で陶芸家の池田敬が二代目として本間焼の伝統を受け継いでいます。



池田退輔の作品買取について


池田退輔の作品は、轆轤などは使用せず手やヘラで形を作る手捏ねという楽焼本来の成形方法を用いて作られている為、とても暖かみのあるお品物となっています。

また、同じく楽焼を作っている千家十職の1つである楽吉左衛門や、楽焼の脇釜で大樋焼を作っている大樋長左衛門の作品などもお買取りしております。

また、お茶道具に関しては共箱と呼ばれる付属する桐箱がございますが、その共箱がありますと査定額にプラスとなりますので、売却される前には探して頂く事をオススメ致します。

ご自身またはご家族の方がお茶を教えていた・習っていたなどで道具がいっぱいあり処分に困っている、コレクションしていたお茶道具を子供達が貰ってくれないので捨てるのは勿体ないから売りたいという方がいましたら、是非いわの美術までご相談下さい。

また、お茶道具以外でもアンティーク家具やドームの花瓶、軍物の刀や勲章、洋食器のマイセンやアラビアンナイト、絵画の棟方志功やカシニョールの作品など様々な種類のお品物をお買取りしております。

遺品整理、生前整理、家の解体、引っ越しなどでご不用になったお品物などございましたら、いわの美術までお気軽にご相談ください。

皆様からのお問い合わせをお待ちしております。


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