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太田垣蓮月の作品お買取り致します

2017/09/07

太田垣蓮月の作品について


太田垣蓮月は、江戸後期の茶人である上田秋成や香川景樹、幕末の国学者である六人部是香に和歌を学び、陶芸は独学で学びました。

自分を引き取ってくれた義父の亡き後、住居を転々としながら陶芸製作に励み、自らの和歌を焼物に彫った作品を作るようになり、それを蓮月焼と呼びました。

蓮月焼は、最初評価が低くあまり売れませんでしたが、繊細な作りが次第に多くの人々を虜にしていき、京都では人気の作品となりました。

しかし、人気になればなるほど偽物という言葉が付きまとってくるのが陶磁器などの骨董品です。

多くの作家は自分の贋作が出されるのを嫌いますが、太田垣蓮月は「自分の偽物でその人が食べていけるのなら」と贋作の存在を許しました。

また、贋作に自分の和歌を掘ったり、贋作を作った人に本物をタダで渡して一緒に売らせるなど、お人好しすぎる部分もありました。

上記に記載したように、太田垣蓮月の作品には贋作が多い事から、見極める目を持った査定員の判断が必要なお品物となっています。



太田垣蓮月とは


 

太田垣蓮月は、本名を誠(のぶ)と言い江戸後期から歌人・陶芸家として活躍した人物です。

生後10日で大田垣光古の元に養女として出された太田垣蓮月は、8歳になると現在の京都府に位置する丹波国の亀山城にて住み込みで働く事になりました。

住み込みでの勤めを終えた太田垣蓮月は、大田垣光古の養子として迎えられていた望古と出会い16歳で結婚しますが、ここから悲劇の人生が始まります。

3人の子供に恵まれるも全員幼くして亡くなり、夫の望古も結婚から8年後に亡くなってしまいました。

その後も、大田垣光古の養子として新たに迎えられた古肥と再婚し女の子を授かりますが、夫の古肥、子供、義父の大田垣光古が続けて亡くなり天涯孤独となりました。

また、太田垣蓮月は絶世の美女として有名で、多くの男性が寄ってきていたそうです。

女性からすると羨ましい限りですが、太田垣蓮月は男性から引っ切り無しに好意を受ける事に疲れてしまい、ある時自分の歯を無理やり抜いて血だらけの醜い顔にしてしまいました。

波乱万丈な人生を歩んできた太田垣蓮月は、晩年若き富岡鉄斎を世話係として迎え京都の西賀茂村にある神光院でひっそりと暮らすようになります。

85歳でこの世を去った太田垣蓮月に対して、別れを惜しむ西賀茂村の住人達が総出で弔いました。

この事からも、太田垣蓮月の優しさや愛情深さが多くの人々の心に響いたと言えます。



太田垣蓮月の作品買取について


太田垣蓮月の作品は、上記でもお話ししたように贋物が多い事で有名ですので、売却の際は見極める目を持っている査定員の判断が重要となります。

いわの美術では、お電話・メール・ラインなどでお問い合わせが可能ですが、贋物が多いお品物の場合お電話だけの情報ですと判断が難しい事があります。

その際は、メール・ラインから品物全体・サイン部分・共箱などのお写真を頂き査定員が判断する事となります。

今、お片付けで処分しようと考えているそのお品物が実は高額になる可能性もございます。

遺品整理・事務所移転・店舗改装や閉店・お引越し・コレクション整理などで売却をお考えのお品物などございましたら、是非一度いわの美術までお問い合わせ下さい。


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