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久田家

三千家の親戚として表千家の茶を業とする高倉久田家と、江戸中期に分家し、久田流を称する両替町久田家があります。
初代は久田刑部の子で名は房政と言い、はじめ宗玄と称し、のちに宗栄と改めました。
父は佐々木氏に仕え、母は千利休の妹、宗円と伝えられています。
宗栄は千利休の門下で茶を極め、秀吉の命で茶商を業とし、代々この家業を継ぐこととなりました。
初代宗栄(生々斎)、宗利(受得斎)、宗全(徳誉斎)、宗也(不及斎)と続き、4代目宗也の次男宗悦(凉滴斎)が半床庵を継ぎ、長男宗玄(厚比斎)は両替町に移り両替町久田家を起こしました。
半床庵を継いだ宗悦の高倉久田家はその後一時中絶や再興を経て、現在に続いています。