買取強化中の茶道具

12代 聴松宗守(愈好斎) 1889-1953

聴松宗守の生涯


聴松宗守は久田家10代久田宗悦の次男として1889年に生まれますが、武者小路千家11代一叟宗守に息子がいなかった為、養子として迎えられました。

聴松宗守が9歳の頃に一叟宗守が亡くなり、聴松宗守がまだ幼かった為、表千家に引き取られ11代目瑞翁宗左や12代目敬翁宗左などから茶道を学びました。

その後多くの知識を学ぶ為東京帝国大学へ入学、国史学を専攻し、学業に励みました。

聴松宗守が表千家に引き取られていた期間、武者小路千家は一時中断していましたが、大学卒業後に武者小路千家を再興させたのと同時に12代目を継ぎます。

その後、37歳で官休庵を改築、51歳では利休居士350年忌に際して弘道庵を再興や門流の編成を近代的に改め、優れた門弟を輩出するなど数多くの功績を残しました。

茶道に励むかたわら、「茶道妙境」「茶道風与思記」の著書や、自らの所論を発表したりと茶道研究に対し大いに活躍されました。

多くの知識を兼ね備え活躍した聴松宗守は、64歳でこの世を去ります。


聴松宗守の好み物


聴松宗守が好んだ品物はあまり伝わっていませんが、唯一知られているのは澤潟棚と呼ばれる作品です。
澤潟棚は、溜塗の四本柱の四方二重棚で、中板が少し手前に湾曲し、棚の足、柱の上下に澤潟の葉を縦半分にした形の鰭板が付いた小棚です。
聴松宗守は好み物や自作作品などより、伝統を踏まえつつ新しい茶道の作法や手前、形式などの研究に熱心だったと言われています。
また、「茶道妙境」、「茶道風与思記」の著書なども多数残されました。