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10代 全道宗守(以心斎) 1830-1891

全道宗守の生涯


全道宗守は久田家7代久田宗也の3男として生まれ、兄には表千家10代目祥翁宗左がいます。
武者小路千家9代目の仁翁宗守が早くに亡くなった為、急遽養子として武者小路千家10代目を継ぎました。
幼い頃から父の久田宗也や、兄の祥翁宗左に茶道の指導を受けていたので、その技術は素晴らしいとされていました。
しかし、小さい頃に痘瘡と呼ばれる目の病気を患い、その後失明してしまいます。
失明後の茶会や家業は、先代の妻や弟子の木津宗詮などの助けを借りて代行されたと記録されていました。
いつから失明したのかは記録にはありませんが、失明前に書や好み物をいくつか作っていて現代にも残されています。
失明により家業がまともにできなくなった全道宗守は、早々と隠居し、兄の祥翁宗左の次男として生まれた一叟宗守を養子に迎え跡を継がせました。
隠居後は宗安を号とし、61歳の若さでこの世を去りました。


全道宗守の好み物

幼い頃に光を失った全道宗守ですが、失明する前に書かれた書や好み物、失明後に多くの人の協力の元作られた作品など数多く残されています。
好み物の中でよく知られているのが莨盆、一重切花入などで、いずれも衒いのない素直な形をしている素晴らしいお品物となりました。
また、書で最も有名なのが、全道宗守が円窓を書き大徳寺の大綱和尚が賛を書いたお品物です。
大綱和尚は、武者小路千家の行く末に心を砕き、何かと協力し努力を惜しまない人であったと言われています。
全道宗守の弟子である木津宗詮も武者小路千家を支えた一人で、後に「彼なくしては武者小路千家の存続はなかった」と伝えられる程大いなる貢献を果たした人です。
多くの困難があったものの、様々な人に支えられ武者小路千家10代目を守った全道宗守は後世に伝えられる人となるでしょう。