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5代 文叔宗守(許由斎) 1658-1708

文叔宗守の生涯


文叔宗守は武者小路千家4代目一翁宗守の息子として1658年に生まれ、父親の一翁宗守が亡くなったのを機に武者小路千家5代目を継ぐ事となります。
茶匠というと、伝聞が多くあるイメージですが、文叔宗守は歴代茶匠の中でも伝聞が非常に少ない1人と言われていました。
伝聞が少ない文叔宗守ですが、優れた茶人であった事は間違いがなく、伝えられている業績の1つに茶話抄と呼ばれる書物が存在します。
その茶話抄により、文叔宗守は「一時の上手にてありけるよし」と賞賛されました。
また、品物を見る眼に関してはとても優れていたと言われ、多くの品物を査定し箱に極め書を残しています。
優れた審美眼が評判を呼び、その当時公家茶道に通じ多くの茶人との交流も深かった近衛家熙も興味を抱きました。
近衛家熙は、茶道具の蒐集家として有名で、優れた審美眼を持つ文叔宗守に数多くの作品を鑑定してもらったと言われています。
優れた審美眼を持っていたものの、歴代の茶匠の中では地味と言われた優れた文叔宗守は、50歳という若さでこの世を去ってしまいました。


文叔宗守の好み物

文叔宗守は優れた審美眼を持っていましたが、自作作品や好み物の関しては全く伝わっていません。
唯一知られているのが花入や棗ですが、それらも表に出ることはありませんでした。
しかし、その作品には武者小路千家の思想「伝統とは革新の集積」が現れていて、見る人を楽しませるお品物となっています。
好みの作品や自作作品などはあまりありませんでしたが、素晴らしい審美眼により茶道の世界に貢献を果たしました。