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7代 竺叟宗室(最々斎) 1709-1733

竺叟宗室の生涯


竺叟宗室は、表千家6代原叟宗左の次男として1709年に生まれ、幼名を政之助、号は最々斎、宗乾と言いその生き様には多くの不明な点がある茶匠です。

また、兄には表千家7代目天然宗左がおり、一緒に漢学を学んだという記録が残されていました。


原叟宗左の次男として生まれましたが、裏千家、6代目泰叟宗室に世継ぎがいなかったため、養子に入り裏千家7代目を継ぎます。

しかし、跡継ぎの段取りが行われたのは竺叟宗室が死ぬ間際に行われた為、とてもバタバタな跡継ぎとなってしまいました。


そのため茶道を指導する人がいなかったので、父の原叟宗左、兄の天然宗左などから指導を受け務めを果たしました。


6代目として務めを果たした竺叟宗室ですが、催した茶会などは少なく残された茶会記などもほとんど無い為、どのような茶を点てる人物であったのかは記録などにも残されていません。

その変わりに手作りの道具など数多く残されています。


その中でも有名なのが、寒雲棗や駒留棗と呼ばれる独特な形をしたお品物で、現在では写しが作られている程稀少な作品となっています。


竺叟宗室が作る作品は、侘びを体現しながら優しい愛嬌のあるお品物を作り、つい手にとってしまいたくなるような作品を多く残しています。


裏千家6代目の務めを果たした竺叟宗室ですが、妻を娶る前に残念ながら25歳という若さでこの世を去ってしまいました。

そのため、跡継ぎがいないので竺叟宗室の弟、一燈宗室が継ぐ事となります。