茶道具作家紹介

了入 りょうにゅう

楽家9代
更新日: 2009/10/27
楽家9代。宝暦6年(1756)〜天保5年(1834)78歳。
7代長入の次男。8代得入の弟。
得入が25歳で隠居したため明和7年(1770)14歳で9代吉左衛門を襲名。
文政8年(1825)剃髪隠居して了入と号す。
文政二年(1819)には紀州家御庭焼にも参加している。
楽家中興の名人といわれ、薄作り、箆削りを強調した作品を残している。
黒釉はつやがあり、赤釉も鮮明で、釉のかけ分け、
二つ以上の印を捺した数印の茶碗も試みている。
寛政元年(1789)長次郎二百回忌のときにつくった赤茶碗二百個に
使用した草樂印を「寛政判」または「茶の子判」という。
天明8年(1788)の大火で焼けるまでの印を、「火前印」といい、
楽字の白が自になっているが、その自の横棒3本が右下がりになっている。
大火後、隠居するまでの印を「中印」といい、
自楽印の自の横棒3本は、水平である。
隠居してからは草書の楽字印を使い、これを「草楽印」又は
「隠居印」という。文政元年(1818)表千家了々斎から「翫土軒」の
額を貰ってからは、「翫土老人」と陽刻した印も使う。