茶道具作家紹介

宗入 そうにゅう

楽家5代
更新日: 2009/10/28
楽家5代。寛文4年(1664)〜亨保元年(1716)。
雁金屋三右衛門の子として生まれ、寛文5年(1665)2歳で一入の養子となる。
名は平四郎・惣吉。元禄4年(1691)5代吉左衛門を襲名。
宝永5年(1708)剃髪隠居して宗入と号す。
雁金屋三右衛門は尾形宗謙の末弟、その子尾形光琳、乾山とは従兄弟にあたる。
尾形光琳・乾山の徒弟。元禄元年(1688)に樂家の系図をまとめた
「宗入文書」を書いた。器形・釉調ともに長次郎の茶碗を倣っている。
全体にやや厚作りで、口作りはむっくりして、胴に変化をつけない。
初楽のような肌を再現しようとして、俗に「宗入のカセ薬」と称される
黒樂釉を用い、光沢のないざらざらした感じで黒く錆びた鉄塊の如き
重厚感がある。五十歳の半白の祝いに焼いた茶碗二百個は
数の茶碗の嚆矢である。この茶碗には原叟(げんそう)による
「癸巳(きし)」の箱書付がある。印は、俗に崩れ印といって
字体がはっきりしない。